芝居と詩歌vol.10 小野小町
能の曲の中に、六歌仙の一人で、絶世の美女とうたわれた平安前期の歌人・小野小町をシテ(主役)にした大曲があります。「関寺小町」「卒塔婆小町」「鸚鵡小町」の三曲で、どれも絶世の美女であった小町が年老いて落ちぶれた晩年の様が描かれます。「老女物」と呼ばれ、「関寺小町」を筆頭にどれも秘曲とされています。老女で動きが少ないうえに感情表現する演技が難しく「習物」とされ、特別の伝授を受けなければ演じられません。
三曲の中でも、小町の歌人としての面目躍如といえるのが「鸚鵡小町」です。百歳となった小町は逢坂山の麓にある関寺近くに柴の庵を結んでいます。昔は芙蓉の花のように美しかった面影はもはやなく、あかざの草のように憔悴し、目も見えず、生活に困窮して物乞いをしながら生活しています。そこへ陽成天皇の使者の新大納言行家(ワキ)が訪れます。天皇が小町の境遇を憐れんで御製を行家に託し、小町に返歌を求めるためでした。
行家:いかに是なるは小町にあるか
小町:見奉れば雲の上人にてましますが、小町と承候かや何事にて候ぞ
行家:いかに小町、さて今も歌を詠み候べきか
小町:我いにしへ百家仙洞の交はりたりし時こそ、事によそへて歌をも詠みしが、今は花薄穂に出初めて、霜のかかれる有様にて、浮世にながらふ計にて候
行家から「今も詠んでいるか」と問われた小町は、昔は百官の貴族や、天皇をも相手に歌を自在に詠み、歌人として名声をとどろかせたが、いまは薄の穂に霜がかかったような白髪の老婆となり果ててしまったと自嘲気味に語ります。
行家:げにもっとも道理なり、帝より御憐れみ御歌を下されて候、是々見候へ
小町:何と御門より御憐れみの御歌を下されたると候や、あら有難や候、老眼と申し文字も定かに見え分かず候、それにて遊ばされ候へ
行家から天皇御製が下されたことを聞いた小町は素直に喜び、目が見えないので声に出して詠んでほしいと求めます。行家は御製を詠んで聞かせます。
雲の上は有りし昔に替らねど見し玉簾のうちや床しき
帝は御製で、小町が昔は頻繁に出入りした雲上(禁裏)は昔と変わらず、見慣れたその様子を懐かしく知りたいのではないかと尋ね、小町に返歌を求めました。小町は
あら面白の御歌や候
と言い、こう続けます。
歌詠むべし共思はれず、又申さぬ時は恐れなり、所詮此返歌を、唯一字にて申さふ
三十一文字の返歌を詠むまでもありません。たった一字で返歌しようというのです。これには行家も驚きます。
不思議の事を申す物かな、それ歌は三十一文字を連ねてだに、心の足らぬ歌もあるに、一字の返歌と申す事、是も狂気の故やらん
三十一文字の歌でさえ十分意を尽くせないものがあるというのに、小町は老いさらばえて狂ってしまったのではないかと、行家は疑います。しかし小町は
いやぞといふ文字こそ返歌なれ
と答え、行家に再度、帝の御製を吟唱させ、こう続けます。
さればこそうちや床しきを引き除けて、内ぞゆかしきと詠む時は、小町が詠みたる返歌なり
すなわち小町の返歌とは、帝の御製の下の句「うちや床しき」を「うちぞ床しき」と変えただけのものでした。御製を奪うように詠むとは、「そんな例が昔にもあるのか」と驚き問う行家に、小町は得々と語ります。
唐土に一つの鳥あり、其名を鸚鵡といへり、人の言葉を承けて、すなはち己が囀とす、鸚鵡の鳥のごとくに、歌の返歌もかくのごとくなれば、鸚鵡返しとは申すなり
身分は高くなくとも、その歌の徳によって百官仙洞と交わった小町の面目躍如です。「雲上が懐かしいであろう」と詠んだ帝に、小町は「ええ本当に、とても懐かしいです」と返しているのです。「や」を「ぞ」という強い調子の助詞に変えることで、小町の「雲上」への強い思いがにじみ、帝にも満足していただけるはず。行家も合点したのか
いかに小町、業平玉津島にての法楽の舞をまなび候へ
と、同じ六歌仙の一人、在原業平も舞ったという和歌山・和歌の浦の玉津島神社の歌の神(衣通姫)を言祝ぐ法楽の舞を求めます。小町もこれに応えて
和歌の浦に、潮満ちくれば潟ほ浪の、芦辺をさして、田鶴鳴き渡る鳴き渡る…
と舞うのでした。やがて日も暮れ、行家は都に帰っていきます。小町は別れを惜しんで涙を流し、杖にすがってよろよろと関寺近くの柴の庵に戻るのでした。