藤英樹 says: 2013年11月8日 at 3:41 PM
芝居と詩歌Vol.7 連歌狂言
狂言には「連歌」と名の付く作品がいくつもあります。以前にも書きましたが、能・狂言が盛んだった南北朝から室町にかけての時代は、同時に連歌が庶民の間で広く行われていました。和歌の上の句・五七五と、下の句・七七を別の人が詠む「短連歌」というものが平安の王朝時代に行われ、やがて五七五、七七、五七五、七七…と長くつなげて詠む「長連歌(鎖連歌)」が盛んになったのです。五十韻、百韻の長連歌が生まれました。「講」という連歌会が組織され、室町時代には心敬、宗祇といった連歌師が登場し、付け合いのルール(式目)も作られていきました。
狂言は当時の庶民の日常を笑いを込めて描く話ですので、当然、連歌狂言も連歌に絡ませてさまざまな笑いが展開します。「連歌盗人」という作品があります。
ある男が連歌講の当番に当たりますが、生活が貧しくて準備ができません。仲間の当番の男も貧しいので、二人して金持ちの屋敷に盗みに入ります。忍び込んだ部屋にあった懐紙(連歌を書き込む紙)に
水に見て月の上なる木の葉かな
という句が書かれていました。連歌好きの二人は興が高まり、つい添え発句を詠み、脇を付けてと盛り上がってしまいました。
木ずゑ散り顕れやせん下紅葉
時雨の音を盗む松風
そこに物音を聞きつけた屋敷の亭主が現れます。何を騒いでいたのかと質す亭主に、二人が連歌を詠んでいたと答えると、やはり連歌好きの亭主が
闇のころ月をあはれと忍び出で
と第三句を詠み、これに見事四句目を付けたら見逃してやると言います。二人が
覚むべき夢ぞ許せ鐘の音
と付けると、その手際に亭主は二人が顔見知りと分かり、事情を聞いたうえで二人の行為を許し、太刀を与えるのでした。
この作品から、当時の庶民が貧富の差を問わず連歌に夢中になっていたことが想像できます。また連歌が人間関係を良好にする潤滑油の役割も果たしていたのではないかとも思われます。もう一つ「八句連歌」という作品があります。
借金をなかなか返さない男の家に、貸し主が返済の催促にやって来ます。話をはぐらかす男に、貸し主は男が連歌好きだったことを思い出し、自分も好きなので八句連歌を詠み合います。
男 花盛り御免なれかし松の風
(御免なれかしに、借金を見逃してくれの意)
貸し主 桜になせや雨の浮雲
(松に桜を対比させ、桜になせやで、借金を返せの意)
男 いくたびも霞にわびぬ月の暮
(霞に貸す身を掛けて、詫びるの意)
貸し主 恋せめかくる入相の鐘
(恋せめかくるに、請い責めかくるの意、鐘に金を掛けている)
男 鶏もせめて別れはのべて鳴け
(のべて鳴けに、借金返済を延ばしてくれの意)
貸し主 人目もらすな恋の関守
(人目もらすなに、返済を延ばすわけにはいかないの意、恋の関守は、請いの関守)
男 名の立つに使いなつけそ忍び妻
(使いなつけそに、返済催促の使いをつけないでくれの意)
貸し主 あまり慕へば文をこそやれ
(あまり慕へばは、そんなに頼むのならの意、文をこそやれに、借金の証文を返してやろうの意)
花の句や恋の句を詠み合いながら、同時に、借金をめぐる駆け引きが巧みに詠み込まれています。二人とも相当な連歌の手練れと見えます。最後は男の句にほだされたのか、ついに貸し主は証文を返してやることに。「連歌盗人」同様、この作品にも貧富の差による金銭トラブルが、連歌を通じて円満に解決する妙が描かれています。