藤英樹 says: 2014年1月10日 at 5:36 PM
芝居と詩歌vol.9 翁
能楽のプログラムを番組といいます。能作品は内容によって、初番目物(脇能)、二番目物(修羅物)、三番目物(鬘物)、四番目物(雑能)、五番目物(切能)と分けられます。修羅物とは「平家物語」などを題材に非業の死を遂げた武将が修羅道に落ちた苦しみを語る能、鬘物とは女性を主人公にした能のことです。
江戸時代の正式な能の会では、これらの順番で一番ずつ上演され、さらにその間に狂言も上演されました。武士階級の式楽といわれるだけあって一日中延々と演目が続きました。忙しい現代ではそんなわけにはとてもいかないので、せいぜい能二番に狂言一番という形が一般的です。
初番目物が脇能といわれるのは、その前に「翁」と呼ばれる特別な祝言曲が上演されることがあるためです。翁は「能にして能にあらず」と言われます。正月や特別な祝賀のときだけ演じられ、ストーリーはありません。老体の神様である翁が、天下泰平、五穀豊穣、国土安穏を祈る舞です。しかも通常の演目とは形式が大きく異なります。演者たちが登場前に待機する「鏡の間」に神棚が設けられ、御神酒や切り火で心身を清めて登場します。
最初に面を収めた面箱が舞台に運び込まれ、続いてシテ方の翁、ツレの千歳、狂言方の三番叟が登場します。囃子方(太鼓・大鼓・小鼓・笛)の演奏の仕方や地謡の座る位置も通常の能とは異なります。
千歳が舞い、この間に翁は面箱から「白式尉(白色の老人の面)」を取り出して着けます。通常の能ではシテ方は鏡の間で面を着けて登場しますから、舞台で面を着けるというのも異例です。
翁と千歳、地謡が舞台で語る詞章は呪術的で意味不明ですが、よく知られています(流儀によって若干異なりますが)。
翁 どうどうたらりたらりら たらりららりららりどう
地謡 ちりやたらりたらりら たらりららりららりどう
翁 所千代までおはしませ
地謡 我等も千秋さむらはう
翁 鶴と亀との齢にて
地謡 幸ひ心にまかせたり
翁 どうどうたらりたらりら
地謡 ちりやたらりたらりら たらりららりららりどう
千歳 鳴るは滝の水 鳴るは滝の水 日は照るとも
地謡 たえずとうたり ありうどうどう
千歳 たえずとうたり たえずとうたり
千歳 所千代までおはしませ 我等も千秋さむらはう 鳴るは滝の水 日は照るとも
地謡 たえずとうたり ありうどうどう
詞章はさらに続きます。意味は不明でも、
どうどうたらりたらりら
の繰り返しは聴いているとなんとも心地よく、不思議と心豊かな気分にさせられます。「千代」も「千秋」も長い年月のこと。そして千年万年生きるといわれる「鶴と亀との齢」を言祝ぎます。
鳴るは滝の水 日は照るとも
は森羅万象の変わらぬ営みを象徴しているように思えます。
翁の後の詞章に
千年の鶴は 万才楽と歌うたり また万代の池の亀は 甲に三極を備へたり 天下泰平 国土安穏の 今日のご祈祷なり ありはらや なじよの 翁ども
とあります。「三極」とは天と地と人、すなわち宇宙の万物を表します。「ご祈祷」ですから、昔からの祈りの言葉なのかもしれません。
その年の豊作を祈る形式の民俗芸能は「瑞穂の国」であるわが国には古くから全国各地にあります。そうした芸能が能の起源となった「猿楽」や「田楽」に取り入れられ、室町期に至って「翁」という舞になったのでしょうか。
さて、翁が舞い終えて退場すると、今度は三番叟が舞い始めます。翁の舞がゆったりとした動きだったのに対して、三番叟の舞は躍動的です。前半は直面(面なし)で「揉ノ段」と呼ばれ、足拍子を踏んで地固めの動きを表現します。後半は面箱から取り出した「黒式尉(黒色の老人の面)」を着けて、鈴を振りながら飄逸に「鈴ノ段」を舞います。こちらは畑の種蒔きを表現します。翁、千歳の呪術的な詞章を伴った舞に比べて、三番叟の舞はより農耕儀礼を思わせ、猿楽、田楽を起源としていることを想像させます。
三番叟は翁よりも動きがあるため、翁以上に各芸能に取り入れられました。歌舞伎や日本舞踊、文楽などでも盛んに演じられています。