藤英樹 says:2013年4月18日 at 2:36 PM
《芝居と詩歌》001
今月から毎月一回くらい、能や狂言、あるいは歌舞伎といった古典芸能の世界に出てくる和歌や俳諧(俳句)について紹介していきたいと思います。
私は仕事(新聞社)で古典芸能にかかわっており、ふだんから和歌や俳諧と古典芸能との関係性、親和性の深さを感じています。歌舞伎役者には「俳名」というものがあります。俳諧を詠むときの俳号です。たとえば市川團十郎なら「三升」、尾上菊五郎なら「梅幸」、中村歌右衛門なら「芝翫」。これらは今でこそ役者名になっていますが、昔はみんな俳名でした。江戸時代の歌舞伎役者は素養としてごく自然に俳諧を詠んでいたようです。
さらに時代をさかのぼって、能や狂言にも和歌や連歌を題材にした曲が数多くあります。たとえば能「西行桜」は西行の和歌がモチーフになっています。
話は少し飛びますが、俳諧はもともと室町時代に隆盛した「連歌」が源流になっています。室町期の心敬、宗祇、荒木田守武といった連歌師の名前はご存じかと思いますが、ではその連歌はといえば、遠く平安時代に五七五の長句と七七の短句を何人かで唱和する形式として行われた「短連歌」から発展したといいます。つまり王朝の和歌の流れをくんでいるのが連歌です。しかしこうした連歌は庶民にとってはやや高尚な世界でした。もう少し卑近な連歌があればという庶民の欲求から生まれたのが、後の俳諧につながっていく中間過程としての「俳諧の連歌」という滑稽を旨とする連歌でした。
俳諧の連歌は庶民の文芸であったため、正統な連歌と違って記録に残されることもなく余興・座興で読み捨てられていたらしい。そんな俳諧の連歌がいかなるものであったかが分かる手掛かりがあります。狂言です。室町期に能とともに隆盛した狂言ですが、もともとは田楽や猿楽と呼ばれる、ごく卑近な庶民の戯れ事が源流です。狂言として一つの完成を見たのは、ちょうど俳諧の連歌と同時代であり、滑稽を旨とする点で共通していました。
「箕被(みかずき)」という狂言があります。連歌に熱中して家庭をかえりみない夫に愛想を尽かした妻が「離縁してくれ」と迫ります。夫は「分かった」と承知して、妻が使い慣れた箕(農具)を暇の印に持たせ出て行かせようとします。夫は妻の後ろ姿を見て、少し心残りなのか「いまだ見ぬ二十日の宵の三日月(箕被)は」と発句を詠みました。すると妻は「今宵ぞ出づる身(箕)こそ辛けれ」と脇を付けました。夫は妻の手並みに驚き、これから一緒に連歌を楽しもうと仲直りしました。
これなどはまさに俳諧の連歌に親しむ庶民の日常がうかがえる狂言でしょう。