句集『唐津』(長谷川櫂著、花神社)は『松島』『富士』に続く旅の句集である。富士、吉野、近江、そして唐津での作品が1ページに1句、余白が読者の想像力を喚起する。
天地いま鞴のごとし青嵐
以前、刀鍛冶の実演を見た折に鞴の使い方も教えてもらった。天地を吹きぬける青嵐を「鞴のごとし」と捉えたのは新鮮でぶぉーっという音まで聞こえてきそうだ。
我すでにそこにはあらず籠枕
そこにいた我は「籠枕」を残してどこに行ったのだろうか。いろいろな想像ができる句である。
けふここに花の人また松の人
十年ほど続く吉野山観桜句会での作。時に、花びらが舞い込む大広間に三十人余りが集う。「花の人」「松の人」の表現がすっきりとしていて気分がいい。
湯のごとく花浴びてゐる女かな
吉野山ならではのスケールの大きい花吹雪を「湯のごとく」浴びている女。たおやかでありながら、豪快な一句。
空よりも大きな月の上りけり
比叡山観月句会での作。空より大きな月などあり得ないと思っていたら、この句は詠めない。比叡山で観る名月を「空よりも大きな」と感じるのが、俳人の力だと思う。
法灯をいくたび霧の襲ひけん
霧には視野を遮る得体の知れない不安を感じることがある。比叡山延暦寺の不滅の法灯は、「いくたび霧の襲ひけん」という状況を乗り越え永永と守り続けられてきた。受け継がれてきたその思いの深さをしみじみと感じる。
老松のほろとこぼせし松露かな
唐津には五キロにわたってクロマツが続く虹の松原がある。老松と松露。松の世界に遊んでいるようでほのぼのとする。
桃の花ごつと山ある唐津かな
帯にもある花のある大きな句。余計なことは言わない。が、まさに唐津だと思う。「ごつと山ある」は、唐津焼にも通じる素朴な手触りのある言葉だ。
切れ味のいい旅の俳句は、読後、気分爽快になる。長谷川櫂は句会の時に「いつ死んでも悔いのないようにしなさい」とよく言うが、自身も存分に生きるべく魂はいつも天地を自由自在に旅しているようである。さて、次の旅は何処であろうか。