飛岡光枝 says:2012年4月5日 at 5:21 PM
『花の歳時記』(長谷川櫂著、ちくま新書)は四季折々の代表的な「花」の句をとりあげ解説した本である。明瞭な鑑賞文の魅力もさることながら、この本のほんとうの力は、日本人にとって花とは何か、また、俳句にとって花とは何かを示唆してくれることである。読み終えた時、「花とは何か」を考え続けることが俳句を作ることなのだという思いに至った。
表紙は清々しい葉を従えた杜若(かきつばた)。51の項目は、ほぼ草木の名前だが、「沖縄」「蓬莱島」などの地名や「源氏物語」「おくのほそ道」などの文学作品もある。1項目に6句が取り上げられ、そのうちの1句を2ページに渡り解説している。あたかも切り取った花を活けるように、古今の306句を変幻自在に読者の目の前に展開してくれる。
筆頭は「松」の項目である。「花とは何か」を考える時、「松」は「花のなかの花」に他ならない。「芭蕉は桐の火桶に火を熾こそうとしていた」に始まる「金屏の松の古さよ冬籠」の句が誕生した瞬間を描いた一文は筆者がそこに居合わせているような緊張感に満ちている。この四年前に詠んだ句が本句の源であったというくだりに、俳句は生き物だという思いを深くした。
鑑賞文は、句の作者の生い立ちに着目したり、句の「ことば」に思いを寄せたり、筆者自身の旅の話に及んだり、時には一編の小説のようにと様々に展開する。どのスタイルであろうと、たちまちその俳句の誕生の場に読者を立ち会わせてくれる。
特に印象的だったのは「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」(金子兜太)の鑑賞である。「あいつが近づいてくるとき、海は静まり返る」で始まる文は「それから、何も見なかったかのようにゆっくりと朝飯を食べ終えると、いつものように家を出て東京の職場へ向かった」で終わる。その朝、金子兜太が見たものは何だったのか。この句が生まれた時に兜太が纏ったであろう生々しい匂いまでも感じさせてくれる一文である。
本書を彩る115枚の写真(玉木雄介氏撮影)が美しい。この一冊を一月近く手元に置いていてわかったことがある。冒頭で表紙の写真について触れたが、一年を通して手元に置いて読むには、夏の花がいちばんしっくりするのではないか。著者は機がある度に述べている、耐え難いほど蒸し暑い夏がある日本は全てにおいて「夏を旨とすべし」と。『花の歳時記』も、しかり。
