一歩前に出よ 「古志」2019年8月号から
一歩前に出て選句せよ。俳句の選をするとき、いつも心がけていることがある。かつて飯田龍太から聞いた言葉だ。「一歩前に出る」とは、自分の俳句観から一歩出よ、ということである。
俳句とはこういうものだ、こうあるべきだという自分の俳句観に照らして選句する、投句をふるい分けてゆく。いかえれば自分の俳句観の内側で選句するのは当たり前、むしろそうすべきだと思っている人がほとんどなのではないか。たしかに自分の俳句観の内側で選句をつづけていれば、自分の俳句観は揺るがず、安全である。龍太はそれではいけないというのだ。
龍太のいう「一歩前に出て選句せよ」とは自分の俳句観で説明できないが、選者を驚かす句を選べということである。ときには自分の狭い俳句観を揺がし、打ち砕き、修正拡大を迫る句を選べということである。
いいたいことは、もう一つ。選者がそういう句を待望するのだから、投句する人も自分の俳句観を超える、少なくとも超えようする、選者を驚かす俳句を投句してほしい。自分の狭い俳句観、誰かが唱えた既存の俳句観に忠実に沿って作ったような俳句は不要ということである。
では三島句会と祇園会句会から。
夏帽子頭の上で風になる 一郎
江戸切子箱より出でて吾を照らす 桂久
杖ついてどうにか潜る茅の輪かな 克実
差し入れし手の透けてゆく清水かな かよ
楸邨の青き山河に分け入りぬ 二本
捩花の夢見るやうにねぢれけり 佳江
炎昼や蛇流れゆく堀深し 紀子
*
肩車の子に祭鉾廻りけり もも子
宵山の髪の乱れを愛すかな 瞳
訪ね来て浮世の外れ木賊山 忠雄
さびさびて銀の屏風も宵祭 久美
夫婦和合の粽求めん芦刈山 茉胡
七月の京は朱色やコンチキチン 初男
一風呂を浴びしごとくに裸鉾 洋子
乾坤の力満ちきて真木立つ 嘉子
生稚児ややがて恋する紅の口 雄二
たてよこに鉾見て歩く暑さかな 忠雄
長刀鉾に続く蟷螂楽し気に 美那子
夏蝶も蟷螂山を回しけり 一郎
凌霄の辻に現れ戻り鉾 光枝
(「古志」8月号の「俳句自在」を転載)