kai says:2012年2月16日 at 11:38 AM
香川県の田岡弘さんから「抱え字」についての質問がありました。「俳句の質問004」の回答に関連するご質問です。このことについての私の考えを記します。
まず抱え字とは何か。たとえば俳句に複数の切字を入れていけないという前提に立つとき、問題は草田男の「降る雪や」の句のように、「や」「けり」という二つの切字が入っていながら破綻することなく一句が成立している句が現にあるということです。一句に切字はひとつしか入れてはいけないと考えれば、これを何とか説明しないといけない。
そこで生まれたのが「抱え字」という考え方です。この考え方によると、切字が二つあってもその間に「は」のような「抱え字」があれば許されると説明します。「降る雪や」の句をごらんになると「は」が入っています。これでおわかりいただけると思いますが、「抱え字」という考え方は原則から外れる例外を説明するための、いわば「こじつけ」であると考えています。
この考え方はいくつか問題があります。
①ひとつは「俳句には切字をひとつしか入れてはいけない」という必ずしも正しくない原則を無前提に認めてしまっていることです。
②次に波郷の「鮎打つや」の句のように切字が二つあっても「は」という字を抱えていない句はいくらもあるので、「は」のほかにも抱え字を認めなくてはならなくなる。つぎつぎに「こじつけ」なくてはならなくなる。つまり論理としてすでに破綻しているということです。
③さらに、このようにいくつも抱え字があるということになれば、専門家以外は知りがたい。抱え字は俳諧の宗匠が秘伝的に伝えた、そんな淫靡な臭いがします。こうした考え方が認められれば、俳句の世界は閉鎖的なものになってしまいます。
なぜ切字が二つあっても句は成り立つのか。この問題は抱え字などという表面的な「こじつけ」ではなく、「俳句の質問」の回答に書いたとおり、切れには強弱があり、そのめりはりの問題です。私の考えは来週できあがる『一億人の「切れ」入門』(角川俳句ライブラリー)にも書きましたのでお読みください。
