#025 俳句の無形文化遺産登録をめぐって(佐々木健一 )
近年、俳句関連で有形文化遺産に登録されたものを思い浮かべてみますと、白樺日記は文化遺産だと思います。
白樺日記とはシベリアに抑留中、戦友の死や冬の厳しさを詠んだ俳句を記したシラカバの樹皮。煙突のススを集めてインクにし、空き缶を切って作ったペンでシラカバの樹皮の内側に書き記されたものです。
抑留中は日記などの記録を残すことが厳しく制限されていたそうで、コムソモリスク近郊に抑留されていた瀬野修さんが、やりきれない気持ちをひそかに俳句で残し、ソ連兵の監視の目をかいくぐって日本に持ち帰ってきた記録です。
白樺日記は2016年10月にユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
恥ずかしながら十九歳になったころに石原吉郎さんの詩集に関する批評や解説などを読むまでは、シベリア抑留についてまったく知りませんでした。
1945年(昭和20年)8月15日正午に、日NHK(日本放送協会)から放送された、昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)の音読放送については中学高校の日本史の授業で取り上げられて教えられましたが、シベリア抑留については丁寧に語られ教えられた記憶がありません。今ではどうなんでしょうね。
花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
これは石原吉郎の代表作のひとつ「花であること」の前半です。
「花」と「拮抗」「外部」「重み」「宣言」使用されているひとつひとつの言葉の関係に、こんな詩がありうるのだと、強い印象を受け、俳句の取り合わせということ、コップに水をそそいでゆき溢れそうになるぎりぎりを緊張しながら見ているような、そんな感じだった気がします。
もしも、この詩はシベリア抑留について書かれた詩であると説明されていたならば「花」と他の言葉とのバランスはたやすく知識によって傾いてしまって、十九歳の私は詩とはなんだと悩んだりしなかったと思うのです。
白樺日記に書かれているのが俳句であることに、俳句はどれだけ大衆に親しまれ共にある文芸ジャンルであることかと思いつつ、白樺日記の有形文化遺産登録には賛成です。
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
という金子兜太さんの一句。
これは毎年「原爆忌」の季語を使用して、俳句を詠み悼む活動で後世に戦争の惨禍を忘れずに伝えようと作られる俳句とはたしかにちがうと感じます。
悼むがゆえに沈黙し、つらいので語らずに、まったく違う季語や俳句で心を癒すという優しい逃避を拒む覚悟のような気力に、俳句はそれでいいんだ、と(本人の意図は今ではわからないが)指針となった気がするのです。
石原吉郎の詩と白樺日記の俳句は同じ歴史性はあれど、作品としての力がちがうようなものです。
戦争体験をした人たちが老いて亡くなっていくのは時代の流れですが、惨禍と悼む心をどのように伝え育むか、残していくかということを文化遺産に登録されなくとも歳時記に「原爆忌」という季語や例句を掲載して、またその季語で実体験はなくとも、句作するという活動を続けている人は、文化遺産に登録されなくても続けていくものと信じています。
俳句を文化遺産として登録する動きの中で、無形文化遺産に登録したがっているというのも不思議な感じがします。
世界遺産(世界文化遺産、世界自然遺産)、無形文化遺産、日本遺産と三つのうちの、無形文化遺産の登録を目指す意味合いより、むしろ日本遺産の意図の方が強い気がします。
世界遺産は、歴史的・自然的な価値のある遺産の開発や破壊、損傷から保護を目的としています。
白樺の皮がボロボロに朽ちてしまえば、まだあるうちに撮影された画像情報(写真など)が残ればましで、世代交代などで失われる可能性もあるわけです。
無形文化遺産は、グローバリゼーションの進展に伴い,世界各地で消滅の危機にある無形文化遺産(Intangible Cultural Heritage)の保護を目的としています。
「世界各地で消滅の危機にある」俳句という文芸ジャンルなのかということは、たしかに「大衆化」による危機はあるかもしれませんが、大衆に親しまれていなければ白樺日記の俳句もなかったとも思えます。俳句という文芸ジャンルがマンガほど大衆になじんではいないのはたしかではありますし、作品の言葉の変容はありますが「消滅の危機」は感じません。
日本遺産は、有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことで、地域の活性化を図ることを目的としています。
日本遺産に登録すると先に世界文化遺産として保護されている文化財に影響があるかもしれず、だから、あいだを取って無形文化遺産で、そのジャンルに関わる有力団体も保護されるのでこれでよし、と決めたのではないかと疑いたくなります。
恋歌のひとつも知らず夏の海
百人一首の恋歌を読んで忘れて俳句を作りながら、途方に暮れてしまい指を折りながら船歌を思いながら季語の夏の海と書きながら、無形文化遺産に登録されたら、誰がこれを読んでくれるのか。
そんなことをふと思います。
恋歌など、ひとりの恋人に聞いてもらえればよい、とも思うときもあります。
