#001 俳句世界遺産という愚行
元文部大臣の有馬朗人さんが中心になって、俳句をユネスコの無形文化遺産にしようという運動がはじまっている。今年一月十五日の朝日新聞に経緯と現状がまとめてある。
大きな問題がある。それは無形文化遺産に登録するために俳句を「定義」しようとしていること。朝日の記事からその部分を引用すると、
有馬さんは「申請の際には、日本語で書かれた伝統的な有
季定型で定義することになるだろう」と話す。そのうえで
「無季や自由律を排除せず、応用として広い意味での俳句
と捉える」との考えだ。
何の問題もなさそうだが、有季定型であれ何であれ、俳句を定義すること自体が俳句の生命にかかわる問題なのである。俳句という文学は誕生以来、自分は何者か、俳句とは何かを問いつづけることによって発展し存続してきた。
それを俳句とはこんなものであると定義するのは俳句の生命線を断ち切るも同然の愚行である。それはやがて俳句の障壁として立ちはだかり、ついには俳句の滅亡を招く「トロイの木馬」になるだろう。もし俳句の定義が世界遺産化の必須の条件なら、俳句の世界遺産化とは俳句を文字どおり「遺産」にすることにほかならない。
同じことは俳句だけではなく、芸術すべてに当てはまる。美術も文学も美術とは何か、文学とは何かと問うことを発展のエネルギーにしてきた。それをたとえば十九世紀に定義していたら、二十世紀の美術や文学は存在しなかっただろう。だからこそ生きた美術、生きた文学を世界遺産にしようなどという愚かなことは誰もしてこなかったのだ。
ところが俳句ではこの自殺行為にも等しい「遺産」化が愚かにも進められている。(「古志」2018年3月号、「俳句自在」から)
*俳句世界遺産の問題について、ご意見をお寄せください。賛否にかかわらず、有意義な意見はこのサイトで紹介します。
