大きく破る心を 「古志」2018年11月号から
俳句人口の高齢化
「古志」創刊から二十五年といわれても、特別の感慨は何も湧いてこない。「そうなのか」と思うばかりである。時間がたゆみなく流れるのは当たり前のことであり、昔から幾度となく言われている。「ゆく川の流れは」にしても「月日は百代の過客」にしても古人の文例を一々あげるまでもない。時間の流れの中にいる人間はやるべきことをたゆみなくやるだけのことだ。
しかしながら振り返ってみると、俳句をめぐる社会の状況は二十五年前から一変してしまった。誰でも気づくのは、予想どおり高齢化が一段と進んだこと。平日の昼間のデパートに行ってごらんなさい。老人ホームかリハビリセンターかと思うような光景を目にすることができる。
社会全体が高齢化しているのだから、俳句人口が高齢化するのは当然とといわなければならない。「古志」創刊のとき、四十歳だった人が六十五歳になったということである。
そこで問題は俳句人口の高齢化は俳句にどのような影響をもたらしているかだろう。より的確にいえば、高齢化によって俳句は今どんな危機にさらされているかということになる。安穏と俳句を作るだけでなく、俳句の直面するこの問題を知り、どう対処するかを考え、どう乗り越えるかが火急の課題であることはまちがいない。
俳句は趣味か
では高齢化によって俳句はどう変わったか。最大の変化は俳句を趣味と考える人が増えたことだろう。戦後俳句だけみても、飯田龍太も森澄雄も金子兜太も俳句を趣味と考えたことは決してなかった。
もし三人が俳句を趣味と考えていたら、三人の仕事は取るに足りないものになっていただろう。三人とも俳句を自分と切っても切れないもの、いや肉体の一部のように考えていたはずである。
最近もある人から「私は年をとりすぎたので俳句をやめます」という手紙をいただいた。年をとりすぎたので俳句をやめる、病気になったので俳句を諦める。そんなことがいえるのは俳句を趣味と考えているからである。もしそうでなければ、機械の部品を外すように易々とやめられるものではない。芭蕉のように一茶のように子規のように虚子のように死ぬまでつづける、これが俳句である。
「古志」を創刊したころは、俳句を自分の一部と考える人がまだたくさんいた。むしろ、そのような人々の力によって「古志」は誕生した。この文章を読んでくださっている方々は自分を省みればおわかりかと思うが、こうした人々は今や絶滅危惧種である。
山田洋という人
今年二月に他界された山田洋さんはそのお一人。「古志」創刊後に入ってみえた方だが、死病に魅入られて手術と入退院を繰り返しながら、亡くなるまで俳句を作りつづけた。ときどき句会などで会うと、黒々と瘦せこけた小柄な体に、いつも二つの目が輝いていた。あれでよく京都や吉野山や東北の句会まで来れるものだと思った。最晩年は俳句への意志の力だけで立っていたのではなかったか。
よく生きてよき塵となれ西行忌 山田洋
「よく生きてよき塵となれ」。これこそ死に瀕した山田さんを支えていた思想だろう。山田さんの場合、それにはどうしても俳句がなくてはならなかった。もし「俳句は趣味か」と問われたら、明らかに「ノン」と答えただろう。あるいは笑って答えなかったか。
では山田さんはこの句に描く理想の人になれていたか、それはわからない。おそらく自分では「まだまだ」と思っていたはずである。だからこそ「よき塵となれ」、みずからを励ましているのだ。
山田さんの近くにいた人たちが、いま遺句集『一草』を制作している。ぜひお読みいただきたい。ただ二十五周年の大会には間に合わない。それはどうでもよいことだ。
末期的大衆俳句の時代
話をもとに戻そう。高齢化によって俳句はなぜ趣味化するのか。
誰でもわかることだが、老人には残り時間が少ないからである。今まで子育てに励んできた、会社で努力してきた、そんな人々が子育てが終わり、会社を定年退職し、俳句でもはじめるかと思うときはもう五十、六十を超えて、いくら人生百歳時代といっても残り時間はそう長くない。
そうなると、「俳句は一生の伴侶」などといっておれない。主婦の気晴らし、余生の慰みとなれば十分、それ以上のものとなったら逆に迷惑なのだ。いきおい手っ取り早く俳句が作れる方法を求めることになる。
近代大衆俳句は江戸時代半ばの一茶にはじまり、子規、虚子、楸邨、龍太を経て現代までつづいているが、二〇〇七年(平成十九年)の龍太没後、「末期的大衆俳句」の時代に入ってしまった。俳句の本の出版数は増えているのだが、そのほとんどが「簡単に俳句ができる」とうたうハウツー本。ここ数年、まともな俳句の本はほとんどみない。俳句総合雑誌もハウツー記事を載せないと売れない。テレビの俳句番組も以前は俳句を学ぶ姿勢があったのに、今はお笑いまがいのバラエティ番組ばかりになってしまった。
今の俳句はそういう時代であることを直視しなければならない。そして、それでいいと思えば、それで終わり。ではどうするかというところからしか、俳句は再生しないだろう。
自分自身を破る
十月の鎌倉句会に静岡の村松二本さんが出席して、いい句をだしていた。
玩亭忌大きく破る心もて 村松二本
玩亭は小説家、丸谷才一の俳号。二〇一二年(平成二十四年)十月十三日に亡くなった。もう六年になる。二本さんの句は玩亭丸谷才一の小説、歌仙、俳句における気概を示しているのだが、「大きく破る心」とは何も玩亭さん一人のものではない。俳人、とくに今の俳人にもっとも欠けているのがこの「大きく破る心」ではないだろうか。
一人一人が安泰な主婦の座、安楽な余生に安住するのではなく、それを大きく破る。この心がないかぎり、その人の俳句はものにならない。俳句も決して再生しない。(「古志」2018年11月号、創刊25周年記念号から転載)