いい句について 古志10月号から
先月、厳島で開いた句会に四国の田中紫春さんが船に乗って参加していた。紫春さんの句は上手ではないが、いい句を作る。
今日濡れて明日美しき鹿の角 紫春
鶏頭や死ぬほどの恋死ぬまでに 紫春
まつ白のまはしがまぶし草相撲 紫春
その理由を考えてみると、紫春さんには心身の奥から溢れ出る「言いたいこと」があるからだと思うようになった。
ついでにいえば、俳句の世界に上手な句を作る人は掃いて捨てるほどいるが、いい句を作る人はほんとうに少ない。その理由を考えてみると、誰も俳句の上手になることばかり焦って、自分の中の声に気づかないからである。
あたりを見回すと、俳句のハウツーものばかりで、上手な句を助長する風潮がある。上手な句なんてファッションモデルの目ように空虚な句ばかりなのに。やはり俳優にはかなわないのである。
俳人にかぎらず人間が自分の声に気づかないのは、もっと根本的な理由がある。人間は赤ん坊のときから人間、とくに母親に育てられるが、その過程で人間としての考え方を徹底的に叩きこまれる。そうでないと問題の多い人が育ってしまうのだが、この教育によって多くの人間は自分の声が聞こえなくなってしまう。
俳句に話を戻すと、こうして誰もが人に褒められる上手な句を作ることに一生懸命になり、句会になると、そんな空虚な句を競って選ぼうとする。その結果、句会の互選はまるで人気投票になってしまうのだ。ほんとうは言葉の向こうからその人の声の聞こえる句を選ぶべきなのに。
厳島句会のほかの特選句をいくつか。
影もまた風にさすらひゆく秋よ 京子
秋昼寝からだの上を風とほる 京子
生姜飯草のかそけき味愛す 通江
けふもまた暑し暑しと大鳥居 真知子
老鹿の人に倦みたる眼かな 忠保
新米のことに嬉しや大杓子 りえこ
台風を迎へ撃つべく大杓子 光枝
荒るるだけ荒れて花野となるもよし 一雄
秋潮の鳥居をくぐる舟一艘 沙羅
宮島の闇麗しき狸かな 秀也
色変へぬ松のこやしや鹿の糞 嘉子
(「古志」2018年10月号「俳句自在」転載)
