生煮えの句 古志9月号から
八月の軽井沢句会で三玉一郎さんが次のような句を出し、何人かの人が選んでいた。
踏み入りて音ひとつなき秋思かな
こんな句は私は選ばない。一言でいえば、観念の生煮えの句。理屈っぽいだけで何のことかわかない。三玉さんはほかにも、
一筋の水となりたる秋思かな
という句もあって、こちらは特選に選んだ。作者は一生懸命だから、「踏み入りて音ひとつなき秋思かな」みたいな句を出していいかもしれないが、選んだ人はこれを「よし」としたということであり、罪が深い。
まず「踏み入りて音ひとつなき」ときて、なぜ「秋思かな」なのか。作者に聞くと「秋思」から発想して「踏み入りて音ひとつなき」にたどりついたのだそうだ。
そうであれば、「踏み入りて音ひとつなき」ができた時点で「秋思」は捨てなければならない。
その代わりに「踏み入りて音ひとつなき」がもっともよく生きる言葉を探す。そうしなかったから、ごちゃごちゃになってしまったのだ。
では何と置くか。三玉さんが沈思ののち、その場で直したのが、
踏み入りて音ひとつなし秋の空
この推敲は句会の前にすませておくべきこと。
ほかの特選句は次のとおり。
ここにまだ止まつてゐたか秋の蠅 三玉一郎
冷やかやとなりあはせに山の家 山内あかり
秋晴れの一本道を浅間山
追分の駅もホームも花野かな 酒井きよみ
夏負けの木の葉もありぬはらはらと
離山秋のま中に昼寝かな 葛西美津子
山田洋遺句集『一草』
一本の草のかがやく花野かな 西川遊歩
腰おろし秋のやすらふ峠かな 飛岡光枝
平成の夏終りけり軽井沢
木もれ日の美しき秋来たりけり 坂内善子
ぱらぱらと光の中をばつた飛ぶ
(「古志」9月号「俳句自在」を転載)