#022 金子兜太は俳句の「例外」か?(長谷川櫂)
金子兜太さんが2月20日、亡くなった。九十八歳。追悼文はけさ(2月22日)の朝日新聞に載っているので、お読みください。そこに引用した金子さんの句、
青年鹿を愛せり嵐の斜面にて
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
どちらも五七五の定型ではない。「青年鹿を」の句には「鹿」という秋の季語が入って入るが、季語としては使われていない。しいていえば、夏の青嵐の句である。「彎曲し」の句には季語もない。「爆心地」を原爆忌の小季語とするのは、こじつけである。
ということは金子さんのこれらの句は有季定型を俳句とするという協議会(俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会)の「定義」からはずれ、俳句の「応用」になってしまう。もう一度、朝日新聞(2018年1月15日)を引用すると、
有馬さんは「申請の際には、日本語で書かれた伝統的な有
季定型で定義することになるだろう」と話す。そのうえで
「無季や自由律を排除せず、応用として広い意味での俳句
と捉える」との考えだ。
有馬さんは毎日新聞のインタビュー(2017年4月24日)では「例外」という言葉を使っている。
調整の結果、基本は「五・七・五の有季定型」。しかし、
多少の例外として非定型、季語なしや、すでに海外で人気
がある種田山頭火や尾崎放哉のような自由律も認めようと。
俳句世界遺産問題については、これまでさまざまな意見を寄せてもらった。「詠む人はそんなことには縛られない」、「仮にどんな定義がなされたとしても、俳句はそこを越えていくでしょう」という意見もあった。
しかし俳句の「定義」は「創作の指針」となるだけでなく「評価の基準」にもなる。評価の基準がおかしければ評価を誤り、誤った評価は俳句の道をゆがめる。
「彎曲し」の句は戦後俳句の世界を切り開いた句であり、「広い意味での俳句」どころか俳句の真ん中にある句である。それを「応用」「例外」と片づけてしまのは、この定義はいうまでもなく、やはり定義しようとすること自体がおかしいんじゃないか?(#016を「古志」4月号「俳句自在」用に加筆)
