#018 今回の定義は軽率(関根千方)
あらためて考えてみました。毎日新聞のインタビューで有馬さんは、非定型、無季、自由律は「例外」として認めると述べられています。
《俳句界の調整にも時間がかかりました。日本の俳句界には伝統的なものから現代的なもの、型にはまらないものまでありますからね。どこまでを対象とするのか。調整の結果、基本は「五・七・五の有季定型」。しかし、多少の例外として非定型、季語なしや、すでに海外で人気がある種田山頭火や尾崎放哉のような自由律も認めようと。》
これが本当に協議会の考えなのであれば、たしかに俳句の多様性をそこなうものであることは、明らかです。兜太さんの〈彎曲し火傷し爆心地のマラソン〉が「例外」とは冗談も甚だしいと思います。
ただ、有馬さんや協議会の定義がどこまで影響力を持つか、それはまだわかりません。すでに俳句を詠んでいる人たちにとっては、過去の名句や、なにより師匠が最大の指針になっていると思うので、それほど大きな権威とはならないのではないか、という気もしています。
しかし、この定義が海外に向けて発信されることを考えると、やはり問題を感じないわけにはいきません。国内であれば、多様な考えを持つ人たちがいるので、内部で対処できるように思うのですが、外に向けて一つの定義が流通してしまうのは、大きな問題がありそうです。
それから有馬さんの主張を読むと、俳句を定義したくてしているわけではなく、単に「人間と自然との共生」を基本とした俳句に一途なだけのように思えます(だから厄介なのかもしれませんが)。もしかすると、無形文化遺産として登録すべきなのは「俳句」ではなく「季語」なのかもしれません。
余談ですが、俳句は季語を利用することもできますが、季語を利用しない俳句もあります。そう思うと、むしろ、季語が俳句を利用していると考えたほうが、自然です。季語は俳句という器に盛られることで季語となる、と考えるわけです。
いずれにしても、季語ではなく俳句を登録しようとする理由には、経済的な動機があることの証なのかもしれません(もちろん、経済効果を期待してもいいとは思いますが、目的と手段が逆立ちしてしまうのは、やはりおかしいと思います)。
有馬さんが「人間と自然との共生」を基本とした俳句というとき、おそらく気候変動の問題が最大のものではないかと思います。たしかに、多様な季節感を生み出してきた自然を維持したいという気持ちも、私は理解できます。
ただ、自然というとき、人間の外部にある自然だけではなく、人間の内部にある自然にも目を向けなければなりません。戦争や地域紛争の問題も、経済格差や貧困の問題も、そこに目を向けなければならない問題です。
そう考えていくと、今回の定義は軽率なものといわざるを得ないと思います。
以下、参考まで。
↓そこが聞きたい「世界のHAIKU」(有馬朗人氏)
https://mainichi.jp/articles/20170424/ddm/004/070/186000c
↓趣意
国際俳句交流協会
http://www.haiku-hia.com/special/unesco/kinenkouen201704.html
↓一般的な解説
NHK解説委員室
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/271409.html
↓世界遺産の理念
日本ユネスコ協会連盟
http://unesco.or.jp/isan/about/
