#010 俳句の力を信じる(三玉一郎)
俳句の世界文化遺産登録に反対です。
私たちが俳句に取り組むのは、まだ何なのかも分からない俳句を探求する気持ちがあるからです。その気持ちが生まれたのはそれぞれの人がそれぞれの経験によって俳句の力を信じるに足るものだと確信できたからにほかなりません。つまり俳句はそれぞれの人の経験、すなわちこころが土台になっています。
「前代の人が遺した業績」が遺産の、「物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること」が定義の意味です。ですから、俳句が遺産になった、あるいは定義された時点で私たちの探求の対象たり得る、こころを土台にした俳句ではなくなります。
俳句の存在への危機感が、世界文化遺産登録運動のきっかけかもしれません。しかし、その危機を打破できるのは遺産登録や定義ではなく、よい俳句そのものです。よい俳句はみずから俳句の可能性を大きくします。可能性の大きくなった俳句はある意味でより捉えどころのないものになるかもしれません。これは遺産登録や定義の対極にあります。しかし、その捉えどころのなさこそ俳句の存在する意味であり、その捉えどころのなさに耐えることこそ俳句に取り組む意味ではないでしょうか。私たちは俳句の力を信じるべきです。
捉えどころがないということはある意味で俳句は自由です。しかし自由の使い方はとても難しく、型枠を決められた方が人間は安心できます。これも遺産登録運動のきっかけの一つかもしれません。しかし、その先には俳句の終焉が待っています。ただ一方この自由の使い方を間違えると、取り返しのつかないことになります。それは遺産登録した場合よりもむしろ早く迎える俳句の終焉です。つまり、登録に反対し俳句の自由を守ろうとする私たちには、俳句という自由に責任と節度を持って取り組んでいく覚悟が求められます。
