飛岡光枝 says:2012年1月13日 at 8:46 PM
◆俳句の質問 001
やまざとはまんざい遅し梅の花 芭蕉
この句は「万歳」を季語として新年の句とされていますが、梅の花が今咲いているわけなので「梅の花」を季語として春の句としてもよいのではないでしょうか。こういうすばらしい句を読むと季語がどれかはどうでもいいような気がしてきます。そもそも、どうして季語があったほうがいいのでしょうか。
返信
kai says:
2012年1月14日 at 12:22 AM (Edit)
【回答】
この句はこのあたりは山里なので正月の万歳が家々をたずねてくるのも梅の花の咲くころになるというのです。山里の遅い正月を詠んでいます。この句については、この遅い正月気分を味わうことが大事で、どれがこの句の季語かなどはどうでもよいことなのです。
俳句を読むとき、どの言葉が季語であるかというところから入るのは邪道。まず句の世界を十分味わうことができれば、おのずからどれが季語かは明らかになります。この句は最初に書いたような内容ですから新年の句なのです。そこで「万歳」がこの句の季語ということになる。この順番を間違えないように。
もっとも旧暦時代、万歳のような新年の季語は春(初春)の季語でした。明治になって太陽暦に変わり、正月が真冬になったために正月の季語をひとくくりにして新年という区分けを設けたのです。ということは、この句が新年の句か春の句かを論議するのはそもそも意味がありません。
最後に「季語はなぜ必要なのか」。季語は文字どおり季節を表わす言葉です。その季節とは太陽の運行(地球の公転)によって生じます。俳句に季語を入れるということは俳句を宇宙のめぐりのなかに位置づける働きがある。このことがわかっていると、俳句をどう詠むか、その道も見えてきます。
