『沖縄』を読む 村松二本
『沖縄』は「沖縄」「夏の死」「火車」の三章から構成されている。
巻頭には沖縄の古歌謡集『おもろさうし』の一首が引かれていて、この歌の「古き琉球のおおらかな心」(「あとがき」より)が『沖縄』を貫いている。
第1章「沖縄」は「俳句」(角川文化振興財団)2015年8月号に発表した50句から成る。
忽然と戦闘機ある夏野かな
亡骸や口の中まで青芒
この島にかつて戦があった。そして、今は基地がある。
しかし、いずれは何もかも太古から流れる時間の中に還って行く。
草生す屍草となりゆくこと涼し
水漬く屍水となりゆくこと涼し
それを「涼し」と言い切った。
俳諧は最終的に宇宙の営みを「涼し」と受け止める。
第2章「夏の死」第3章「火車」はおもに2013、2014年の作である。
富士黒くぬつと天下の夏の上
世界文化遺産に登録された富士山を祝福する句。
「天上を吹く春風に富士はあり」(『富士』)に勝るとも劣らない名吟だ。
「富士」「黒く」「ぬつと」「天下の」「夏の」「上」、これだけ多くの情報が一部の隙もなく組み立てられている句も珍しい。それでいて少しも詰め込んだ感じがしないのは、ひとえに「ぬつと」という措辞の力だろう。この一言で一気に風通しがよくなる。
筆者の茅屋にはこの句の短冊が飾られている。去る7月、三島句会の折ご褒美に頂いた。ご存知の方も多いかと思うが、長谷川櫂の筆は実にのびのびとしている。殊にこの短冊は「ぬつと」が本当に「ぬつと」書かれていて愉快なのだ。
恋の句の艶をきそへや玩亭忌
玩亭忌春画一巻奉れ
「玩亭忌」は小説家丸谷才一の忌日(10月13日)。丸谷はその晩年、歌人岡野弘彦(俳号「乙三」)ならびに櫂と、頻繁に蕎麦屋の2階で歌仙を巻いていた。「恋の句」は歌仙の花である。
忌日の句の割に少しも湿っぽくないのは、故人の人徳というものだろう。こんな追悼句なら、さぞかし玩亭先生もお悦びにちがいない。
発句には向かないだろうが、こういう句にはつい引き込まれる。合いの手を入れたくなる。歌仙というのは開かれた文芸だと改めて思う。
話が『沖縄』から少々逸れるが、長谷川櫂の今年の仕事で特筆すべきは、今のところ『歌仙一滴の宇宙』であろう。岡野乙三・評論家三浦雅士との三吟歌仙六巻を収めている。正岡子規が150年前に「連俳は文学に非ず」(『芭蕉雑談』)と切り捨ててしまった連句を、現代の詩としてよみがえらせようという野心的な一冊だ。
後世の人々が長谷川櫂の著書として、まず第一に同書を挙げるようになる。その可能性が十分にある。何百年か後には、平成は連句復興の時代と位置づけられる。このごろそんなふうに考えるのだが、いかがなものだろう。
日と月のごとく対して永き日を
投了や駒ことごとく花の塵
昨年4月、朝日新聞の企画で将棋名人戦を観戦したときの句。紙面には森内名人(当時)と羽生三冠の対局を見守る写真が大きく掲載された。臨場感のある句がずらりと並んだ中で、句集に残されたのは掲句をはじめ9句である。将棋の盤面もひとつの宇宙なのだ。
この夏は同じく朝日新聞の企画で甲子園の開会式と開幕試合を観戦した。このときの句は次の句集に収められるのだろう。
さて次の企画の話になるが、東京オリンピックまではだいぶ間があるから、参院選挙か総選挙あたりはどうかだろうか。朝日新聞ならやってくれるのではないかと期待しているところだ。
一しぐれ二しぐれ又しぐれけり
一頭の鮭を虚空に吊るしけり
長谷川櫂の旅はとりあえず沖縄にたどり着いた。
この先、行けるところまで旅は続いてゆくのだろう。
