木下洋子 says: 2012年8月9日 at 11:50 AM
岡野弘彦さんの歌集『美しく愛しき日本』(角川書店)を読みました。一首一首にしずかな衝撃が走り、ふだん心の奥底に眠っていた何かが立ち上がってきました。言霊とはこういうものなのかと思いました。
仇討たば やがて討たるる身とならむ。めぐる輪廻をなげく 運命(さだめ)ぞ
世を越えて、鎖のように繋がる運命。さあ、君はその鎖を断ち切れるかと問われているようです。
親が子を 子が親を殺す世なりけり。継子話もかたる甲斐なき
最近、実の親子間の殺人事件が増え心が凍ります。夢から覚めてハッピーエンドとはならない、現実の闇におののきます。
八十すぎてわれは苦しむ。生肌断ち人を殺しき。若き二十に
戦争では、殺さねば殺される。殺される無念はもとより、殺したという罪の意識はいかばかりであろうかと思い、胸が痛くなります。
日本を知らぬ人らに説かむとせし 日本学ノート 古りてなほ持つ」
四十代で、交換教授として西欧留学されています。その時の志がそのノートに込められているのでしょう。「古りてなほ持つ」に共感を覚えます。
をみなごは 身をほろぼして生みにけり。火炎かがやく迦具土の神
「いざなみ」にはじまり命がけで女は子を生みます。母恋ひはそれゆえ、永遠に追い求めるものになるのだと思います。
役人(つかさびと)・政治家(まつりごとびと) 真なき世に生きて 民は何たのむべき
大地震、津波、原発事故、未曾有の災害は、命を、幸を、奪い去りました。絶望の中、頼みの政治家は保身をはかり、政争に明け暮れています。国民にとって、なんという不幸。あとがきに「身の情念をふりしぼって歌わねばならない運命に、また逢遭した」と岡野さんが書かれている通り、心からの怒りと嘆きと祈りの歌が胸に迫ってきます。
昨夜の桜 花さきみちてありし道。友のむくろを負ひて わが行く
岡野さんが二十歳の時、軍用列車で移動中、東京大空襲により全車輛を焼かれました。その地獄のような記憶は、心に焼きつき、魂の叫びのような歌になりました。岡野さんと同世代の私の両親の人生にも思いを馳せました。
岡野さんたちのおかげで、私たちは、今の戦争のない日々を日常と呼び、桜を愛で、富士を美しいと仰げるのだと思いました。この歌集は、私にとって、かけがえのない一冊となりました。