《500句》「長谷川櫂」への挑戦 高橋真樹子
スタイリッシュなデザインの本には長谷川櫂の人生が凝縮されている。読みすすめるとその人生が詳らかに書かれおり、まるで孤高の人長谷川櫂がすぐそばに降臨してきたかのように感じた。少し驚きもしたが知る嬉しさもあった。
故郷の熊本とずっと距離をとってきたと語り「雲の峰故郷の空に収まらず」『沖縄』「故郷といふ幻想へ帰省かな」『九月』「母の日や母を忘るること久し」『太陽の門』が綴られている。そんな中、今年一月から熊本日日新聞で「故郷の肖像」の連載が始まった。それは故郷熊本に想いを巡らす絶好の機会でもあるし、故郷と和解する最後の機会になるのではないかという。長年心の奥深くにあった故郷への深い思いが伝わる。
平井照敏と飴山實それぞれの師事のもと俳句を学び俳句の道を模索する若き日の姿勢は、いつも句会で繰り返される言葉と同じだ。
飯田龍太が付箋や○をつけた合本句集『古志・天球』を御子息である秀實さんから渡されたが、この自選500句の選が終わるまでは開かなかったという。時空をこえた龍太からの贈り物には重みがある。
また俳人としての歩みを五つの時代に分け、そこに句集・俳論・エッセーを当てはめている。この分類は長谷川櫂を読み深めるための水先案内人として重要な役割を果たしている。自分で俳句の道を探す大切さ、飯田龍太との交流、平井照敏・飴山實の教え、長谷川櫂の人間として俳人としての歴史を知り、また長谷川櫂論ではその道のりに寄り添った文章に感じ入った。
なぜ長谷川櫂はここまで人生を詳らかにしたのだろう。己への挑戦だったのではないか。その挑戦には長谷川櫂を客観的に見つめるもう一人の長谷川櫂の存在が無ければなし得ない。
冬深し柱の中の濤の音 『古志』
思ふままゆけといはれし龍太の忌 『柏餅』
さまざまの月みてきしがけふの月 『太陽の門』