#02『俳句と人間』感想/長谷川冬虹
欲望と諦念——死についての知的な思索
やがて来るだろう自身の死とどう向き合うのか、それをどう受け入れるのかは、人類永遠の課題だが、この問いと正面から向き合った著作はそれほど多くないし、とくにエッセイという形では少ないのではないだろうか。この新著は、自身の皮膚癌の診断・切除をとおして、この問いをめぐる俳人の思索である。「生と死について考え抜いたあげく、安らかな死などどこにもないという深い諦念の中で最期を迎える。これが人間らしい唯一の死に方ではないか」(p.194)というのが本書の結論である。「死は肉体と精神の消滅」にほかならず、「死後の世界」も「神」もフィクションだというのが著者の立脚点である(p.83)。古今を往還する自在で、博覧強記な引用と、強靱で、知的な、透徹した思索力が読者を魅了する。本書は、欲望と諦念を主調音として、死についての知的な思索とはどのようなものかを教えてくれる。
死に関して、本書が何を論じていないのかを考えることも、興味深い。老い、肉体や精神の衰え、近親者の死、残された者の喪失感などを、本書は扱っていない。本書の前提にあるのは、個人主義的な、自己を律することのできる強い主体である。「死は肉体と精神の消滅」であるということを直視することに人々は耐えられるのか。「死後の世界」も「神」もフィクションだとすると、私たちはどのようにしてニヒリズムを避けることができるのか、等々。本書は、現代人として、自身が死とどう向き合うのか、に関連した、きわめて根源的な、多くの問いを投げかけてくれる。