〈俳句の相談〉名詩の一節に季語をつけるのは?
【相談】
宮沢賢治の詩が好きで「雨ニモマケズ」の詩を下敷きに、
①雨ニモマケズ風ニモマケズ吾亦紅
の俳句を作りましたが、俳句誌へ投稿してもよいでしょうか?
②太郎をねむらせ次郎をねむらせ合歓の花
のように過去の名詩にピッタリの季語をつけるという方法は私のオリジナルですが、いかがでしょうか?
【回答】
3つの問題があります。まず「雨ニモマケズ風ニモマケズ」にしても「太郎をねむらせ次郎をねむらせ」にしても名句の一節をそのまま引用してしておられますが、この手法は大きくみれば和歌・短歌では「本歌取り」、俳句では「面影」、詩では「パロディ」「警句」といわれるもので、詩歌の根源に根ざした一つの技法です。ただその場合、次のような条件があります。
(1)まず引用される詩歌は誰でも知っている有名なものであること。もし知られていない詩歌であれば、誰の作品かわからず、引用ではなく盗作になります。
(2)次にもとの詩歌をそのまま引用するのではなく、変化させること。変化させるということは、もとになった詩歌を批評するということです。
以上の観点からみると、①も②も有名な詩人の有名な詩の引用ですから(1)については問題ありません。しかし(2)については、ほぼそのままの引用であることが問題になります。それぞれ「吾亦紅」「合歓の花」だけが変化(批評)であるようにみえますが、その批評がうまくいっているか。それが次の問題です。
「雨ニモマケズ風ニモマケズ」に吾亦紅を付ける、「太郎をねむらせ次郎をねむらせ」に合歓の花をつける。これは「雨ニモマケズ風ニモマケズ」に吾亦紅を取り合わせ、「太郎をねむらせ次郎をねむらせ」に取り合わせたということです。取り合わせの大事な条件は異質のものを取り合わせるということです。異質のもの同士だからこそ、その間に「間」が生れて一句が誕生するわけです。
ところが「雨ニモマケズ風ニモマケズ吾亦紅」の吾亦紅は「雨ニモマケズ風ニモマケズ」を植物の姿にしたものです。これを「ピッタリの季語」といわれているのだと思いますが、異質ではなく同質のもの同士を並べているだけです。これでは「雨ニモマケズ風ニモマケズ」と吾亦紅は理屈(連想)でつながっているわけで「間」の生れようがありません。つまり理屈を述べただけの句ということになります。「太郎をねむらせ次郎をねむらせ合歓の花」も同様です。
本来の「ピッタリの季語」とはこのように理屈(連想)でつながる季語ではなく、直感でしかたどりつけない季語です。そのただ1つの季語を探すのが俳句の苦しみでもあり喜びでもあるわけです。
もう1つの問題は、このような方法を「私のオリジナル」といっておられますが、すでに述べたように古くから詩歌にある手法であり、無数の実験を経て、それが新たな詩歌として成り立つための条件(1、2)がわかってきたということです。
①②の句を投稿していいかというお尋ねですが、それは自由です。しかしこのような句をとる選者はたいしたことはない選者だと思ってください。