〈俳句の相談〉一物仕立てか、取り合わせか
【相談】
一物仕立と取合せとのどちらに属する句か? はっきりしない領域があるように思えます。たとえば次のような句です。
①本降りとなつてをりけり昼寝覚 黛 執
②遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子
③かなしみはしんじつ白し夕遍路 野見山朱鳥
これらの句は一物仕立てか取り合わせか、どう考えたらいいでしょうか。
【回答】
すべての俳句は一物仕立てと取り合わせのどちらかに分類されます。それは内容と形によって次の4つに分けられます。
*一物仕立て
(A)1つのことを1本で詠んでいる句(句中に切れはない、典型的な一物仕立て)
例:行春を近江の人とおしみける(芭蕉)
(B)1つのことを2つに分けて詠んでいる句(句中に形だけの切れがある、一物仕立ての変型)
例:朝がほや/一輪深き淵の色(蕪村)
*取り合わせ
(C)2つのことを2つに分けて詠んでいる句(句中に切れがある、典型的な取り合わせ)
例:降る雪や/明治は遠くなりにけり(中村草田男)
(D)2つのことを1つにつないで詠んでいる句(句中に隠れた切れがある、取り合わせの変型)
例:六月の雨さだめなき/火桶かな(石田波郷)
この4つについては旧著『一億人の俳句入門』(講談社)、『一億人の「切れ」入門』(角川書店)にも書きました。このことをしっかり頭に叩きこんでいないから、『俳句』8月号のような混乱が起こるのです。
よく問題になるのは(B)と(D)です。(B)は一物仕立てなのですが、句中に形だけの切れがあるので取り合わせのようにみえます。逆に(D)は取り合わせなのですが、句中の切れが隠れているので一物仕立てのようにみえます。要は句の形に惑わされず、内容をよくみよということです。
一物仕立てか取り合わせか、はっきりしない句の例としてあげておられる①と③は(B)一物仕立てです。①は昼寝が覚めたら雨が本降りになっていたということです。③の「かなしみ」は遍路の白装束のことです。
一方、②は(D)取り合わせの句です。この句、遠山に日が当たっていて、あたりいちめんが枯野であるというのです。「遠山に日の当たりたる」のあとに切れが隠れています。
ここで虚子の枯野の句についていっておくと、取り合わせでることを明確にするためには下五には日の当たる、当たらないに関わりのないものがこなければなりません。虚子の句では枯野という日の当たりうるものを置いたために、遠山にも枯野にも日が当たっているような曖昧さが生じます。この句は名句といわれていますが、取り合わせの句としては不完全な句です。
例にあげた波郷の句は「雨さだめなき」と火桶がかかわらないので取り合わせであることがすぐわかります。芭蕉の「さまざまの事思おも出す/桜かな」も同じです。
このように一物仕立てと取り合わせの区別がわかっていないと、道しるべもなく歩いているようなもので、第一に俳句の鑑賞ができません。それはそのまま、俳句が詠めないということです。