水とりや氷の僧の沓の音芭蕉
東大寺二月堂のお水取り。芭蕉は「野ざらし紀行」の旅の途上、お水取り最中の二月堂に参籠した。真っ暗な内陣から僧たちが床を駆け回る氷のような沓音が、冷たい夜気を破って響きわたる。お水取りがすめば奈良は馬酔木の花咲く春。『野ざらし紀行』
水とりや氷の僧の沓の音芭蕉
東大寺二月堂のお水取り。芭蕉は「野ざらし紀行」の旅の途上、お水取り最中の二月堂に参籠した。真っ暗な内陣から僧たちが床を駆け回る氷のような沓音が、冷たい夜気を破って響きわたる。お水取りがすめば奈良は馬酔木の花咲く春。『野ざらし紀行』
下萌えて土中に楽のおこりたる 星野立子
大地に散らばって冬を越した小さな種子が春いっせいに芽吹く。土の中から緑の音楽が湧き上がるように。草の発芽など当たり前と思っているが、本当は不思議な驚くべきできごと。その音楽はやがて緑の旋律で深々と地上を覆うだろう。『実生』
花をのみまつらんひとに山ざとの雪まの草のはるをみせばや 藤原家隆
桜の花だけを待つ人に雪間に萌え出た若草をみせてあげたい。「新古今集」時代の歌だが、四百年後の千利休が侘び茶の心を伝えるのに使った。華やかなだけが美しいのではない。雪間の草の緑が抹茶の緑にも通じる。『後京極摂政家百首』

日を揺りて水よろこべり猫柳 石原舟月
猫柳の銀色の花芽が膨らむころ、きらきら輝く小川を眺めていると、水が春の訪れを喜んでいるような気がしてならないのだ。水が喜ぶべきことはいくらでもある。陽の光を浴びること、自由に流れてゆけること、世界が春になったこと。『白夜』

古き世の火の色うごく野焼かな 飯田蛇笏
在原業平が主人公という「伊勢物語」に武蔵野の野焼の話がある。娘を連れて逃げた若者が追っ手に捕まる。娘は野に隠れるが、火を放たれて捕えられる。蛇笏は野焼を眺めながら、そんな遠い昔の恋物語を思い出したのではなかろうか。『山廬集』
何事もなくて春たつあした哉 士朗
節分の夜は冬と春のつなぎ目。季節の隙間につけこんで悪さを働く鬼たちを豆で追い払って一夜明ければ春。立春は春の生まれる日である。士朗は名古屋城下で名高い産科医。「何事もなくて」とはその人の、無事誕生した春をことほぐ句。『枇杷園句集』

姿ある鬼あはれなり鬼やらひ 三橋敏雄
節分の夜に懲らしめられるのはお面をつけた姿ある鬼。それは隠れ蓑を失くして正体を現した悪戯者のように情けない存在。本当の鬼は決して姿を見せない。風のように走り、闇のように静かに人の心に忍び入る。怖いのはこの姿なき鬼。『畳の上』
淋しさの底ぬけて降るみぞれかな 丈草
人の心が器のようなものなら、いつか水のような淋しさが溜まるだろう。その心の底が抜けてしまったかのように夜空から霙が降りしきる。淋しさは心をあふれて霙となり、夜の天地にしみこんでゆく。芭蕉の死から何年かたった冬の吟。『丈草発句集』
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
美しい明朝体で印刷しても、黒々と墨でしたためても、この句の印象は簡潔。一はものの初めの数、一月は年の初めの月。この一という数の緊張感が一句を貫く。裏山を流れ下る小さな川を詠んだ句らしいが、天龍川のような風格がある。『春の道』
放心をくるむ毛布の一枚に 山田弘子
一枚の毛布に寒々とくるまるこの女性の背後には一瞬で瓦礫と化した神戸の街が広がる。十年前の一月十七日早朝、阪神淡路を襲った大地震。自然の猛威にさらされれば誰でも毛布一枚にくるまる運命。かくも柔らかな生きもの、人間。『阪神大震災を詠む』