子の皿に塩ふる音もみどりの夜 飯田龍太
若葉の茂る夜の闇に包まれて、そこにだけ明かりがともり、家族が夕食の卓を囲んでいる。自分ではまだ料理に塩を振れない小さな子もいる。白い塩の結晶がぱらぱらとこぼれるかすかな音。一家のまわりを静かに流れる初夏の夜の時間。『忘音』
子の皿に塩ふる音もみどりの夜 飯田龍太
若葉の茂る夜の闇に包まれて、そこにだけ明かりがともり、家族が夕食の卓を囲んでいる。自分ではまだ料理に塩を振れない小さな子もいる。白い塩の結晶がぱらぱらとこぼれるかすかな音。一家のまわりを静かに流れる初夏の夜の時間。『忘音』
忘れめやあふひを草に引き結びかりねの野べの露の明けぼの 式子内親王
葵祭は京都上賀茂神社、下鴨神社の祭である。作者は後白河天皇の皇女で、賀茂神社の斎院となった。今は斎王代がこの役を務める。祭りの前、潔斎のために神館で明かした一夜の思い出を野宿でもしたようにうたう。『新古今和歌集』
白牡丹といふといへども紅ほのか 高浜虚子
白牡丹というから真っ白の牡丹と思っていたら、どこからともなくほのかに紅がさしている。白い牡丹が実際に紅い色素を帯びていることもあるが、ここでは若い人の頬がさっと紅に染まるように花の内部から紅がさしているのだろう。『五百句』
白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝不器男
動から静へ。風に揺れていた藤の花房がひたと止まった。すると、それまでただ白とばかり思っていた花がほのかに緑を帯びているではないか。葉と同じ色が花びらの縁や襞の奥を影のように染めている。白の内に隠されれていた密かな緑。『芝不器句集』
春の夜にわが思ふなりわかき日のからくれなゐや悲しかりける 前川佐美雄
「からくれなゐ(唐紅)」は濃やかで華やかな紅。日本が唐の文化の影響下にあった奈良時代、中国への憧れをこめてそう呼ばれた。人生のどこかで葬った若き日の夢を春の夜、ひとり弔う歌である。『大和』
釣鐘にとまりて眠る胡てふ哉 蕪村
蝶ほど軽やかな生きものはいないだろう。風の化身のようにひらひらと飛びめぐる。「胡てふ」(胡蝶)とは蝶のこと。遊び疲れたのか、今、一羽が釣鐘の冷やかな肌にすがって羽を休めている。静かな春の真昼、蝶も釣鐘も眠っている。『俳諧発句題苑集』
百代の過客しんがりに猫の子も 加藤楸邨
「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也」とは「おくのほそ道」の書き出し。その「百代の過客」永遠の旅人の行列の最後に、そうとも知らずについてゆくのはまだあどけない子猫。荘重な芭蕉の名文をふわりと微笑の一句に転じた。『雪起し』
つばめつばめ泥が好きなる燕かな 細見綾子
南の国から帰ってきた燕はすぐに巣作りを始める。干潟や田んぼに下りては泥をくわえて飛び立つ姿をよく見かける。「つばめつばめ」、まるで少女に呼びかけるような句だ。泥んこ遊びをした子どものころを思い出しているのだろう。『桃は八重』
ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃 西行
如月の望月、旧二月十五日は釈迦の命日。その日が桜の満開と重なるときに死にたいというのだ。西行が亡くなった文治六年二月十六日は太陽暦三月三十日。願いどおり花のもと、望月の頃だった。『山家集』
なつかしの濁世の雨や涅槃像 阿波野青畝
釈迦入滅の法会が涅槃会。元来は旧暦二月十五日だが、太陽暦の三月十五日に営むお寺が多い。春雨が御堂を降り包んでいるのだろう。涅槃図のお釈迦様は雨音に聞き入るかのように、嘆き哀しむ人々の真ん中にふわりと横たわっている。『万両』