葱買て枯木の中を帰りけり 蕪村
「葱買て」と聞いて白い根深を思い浮かべた人は東国の人だろう。西国の葱は緑の葉の茂る葉葱。蕪村は京に長く住んだので葉葱にちがいない。熱い鍋でも心に描きながら枯れ木の間の道を急ぐ人。手に提げた葱の束の緑がみずみずしい。『蕪村句集』
葱買て枯木の中を帰りけり 蕪村
「葱買て」と聞いて白い根深を思い浮かべた人は東国の人だろう。西国の葱は緑の葉の茂る葉葱。蕪村は京に長く住んだので葉葱にちがいない。熱い鍋でも心に描きながら枯れ木の間の道を急ぐ人。手に提げた葱の束の緑がみずみずしい。『蕪村句集』
ものゝふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原 源実朝
鎌倉幕府三代将軍の歌。那須は幕府を支えた坂東武者の拠点の一つ、篠原は狩り場として知られた。箙の矢を揃える武者の籠手に音立てて弾ける霰の玉。この霰のような気風を好む武士の長が鎌倉の将軍だった。『金槐和歌集』
何に此師走の市にゆくからす芭蕉
何でこの忙しい師走の町へ烏は飛んでゆくのだろうか。琵琶湖の南端膳所での吟。烏を詠んでいるようにみえて、芭蕉はここで自分を烏になぞらえた。俗世間を離れた身でありながら、なぜお前は浮世の巷へ出かけてゆくのだという自問。『花摘』
憂きことを海月に語る海鼠かな 召波
「憂きこと」といえば恋の悩み。海鼠の君が鱚の乙女にでも恋をしたのだろう。それほど男前でもないから相手にしてもらえない。そこで浮世に長けた海月に苦しい胸の内を明かしているという次第。この句を知れば海鼠の味も深まる。『春泥句集』
旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉
木の葉が風に舞うように人は旅人になる。ある年の初冬、芭蕉は江戸深川の庵をあとに上方へ向かった。これが紀行文「笈の小文」の大旅行である。その旅立ちの句。翌年夏、明石で折り返し、信州更科の月を見て深川に帰ったのは晩秋だった。『松尾芭蕉集②』
かたまりて通る霧あり霧の中 高野素十
霧の中にはさまざまな幻が住んでいる。素十の句、あたりいちめんに立ちこめる霧の中を、ひときわ濃く白い霧が流れてゆく。白い生きものの一群が霧に隠れて進んでゆくかのようだ。霧とともに現れて霧が晴れると消えてしまう白い幻。『素十全句集』
新米もまだ艸の実の匂ひ哉 蕪村
お米も取れたての新米のうちはまだ草の実の匂いがする。なるほど田んぼで大事に育まれる、もとはといえば稲は草、お米は草の実にちがいない。人間も鳥や虫たちと同じように草の実を食べて生きてるんだと思えば何とはなしに愉快。『落日庵句集』
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり 若山牧水
牧水は生涯に酒をほめる歌をいくつも詠んだ。みんなでぱっとというのも楽しいけれど、これは一人飲む、静かな秋の夜そのもののような酒。二十代半ばの歌だが、すでに堂々たる愛酒家の風格が漂う。『路上』
我が声の吹き戻さるゝ野分かな 内藤鳴雪
台風が巨大な風の渦であることは今でこそ常識だが、昔はどこからとなく吹く得体の知れぬ大風だった。それが野分。自分の口を離れた声が野分の風に押し戻され、後ろへ吹き飛ばされてゆく。声には姿も形もないが、目に見える塊のよう。『鳴雪句集』
白を着て娘ざかりや涼新た 岩井英雅
夏の涼しさは立秋を境に新涼へと改まる。娘盛りといえば十六、七歳だろうか。句からは白いシャツやワンピースの似合う溌剌とした姿を想像する。あんなに小さかったのに、いつの間にか、すっかり大人びた娘をまぶしそうに眺める父。『東籬』