【相談】
初めてメールします。俳句歴は長いのですが、旧仮名遣いについて、いまだに慣れません。俳句は歴史もあり、昔の人は旧仮名遣いが当たり前でしょうが、小生の年代ではすべて新仮名遣いを教わって来ました。パソコンではもちろん旧仮名遣いは出てきません。新仮名に訂正するように指示されます。私はこれから俳句を学ぶ人には新仮名使いでも問題ないように思います。

【回答】
結論から先にいうと、新仮名で書くか、旧仮名で書くかという問題は俳句を作る人それぞれの選択に任されています。

まず知っておきたいのは次の大きな枠組みです。
〈A〉表現対象の問題=何を詠むか
〈B〉表現法の問題=どう詠むか
俳句について考えるとき、この2つの枠組みがありますが、新仮名で書くか、旧仮名で書くかという問題は〈B〉表現法の問題の一つです。

次に〈B〉表現法の問題には次の2つの問題が含まれています。
(1)文体の問題=文語体か口語体か
(2)表記の問題=旧仮名か新仮名か
俳句を文語体で作るにしても旧仮名で書くか、新仮名で書くか、あるいは口語体で作るにしても同じく旧仮名で書くか、新仮名で書くかという問題が生じます。

このうち(1)文語体か口語体かという文体の問題は明治時代半ばに口語体の日本語が登場してから生れました。一方、(2)旧仮名か新仮名かという表記の問題は戦後、新仮名が作られてから生れた問題です。新仮名は戦後の国語改革で日本語の発音近くしようと人工的に作られた仮名遣いです。いわば日本語の発音記号と考えればいい。

このように文体と表記、この2つの問題には時間的なズレがあります。そこで日本語の散文がじっさいどう書かれてきたかを時間順に並べるとと、次のようになります。例として「恋ふ(恋する)」をあげておきます。
①文語体を旧仮名で書く(こふ)=明治時代半ば以前
②口語体を旧仮名で書く(こひする)=明治時代半ば?昭和戦争
③口語体を新仮名で書く(こいする)=戦後?
④文語体を新仮名で書く(こう)=存在しない
ここで知っておかなくてはならいのは④文語体×新仮名という表現法は歴史上じっさいには存在しなかったということです。たしかに現代の俳句、短歌では④文語体×新仮名の表現法で書かれているものもありますが、この④文語体×新仮名の表現法じつは論理的に作られただけの根っこのない表現法であるということです。

小説家のほとんどは新仮名ですが、丸谷才一は生涯、旧仮名でした。「日本国憲法」も旧仮名です。私は俳句は旧仮名ですが、文章は新仮名、漢字のルビは新仮名で書いています。ルビは漢字の読み方を教えるものですが、これを旧仮名で書くと「やくわん(薬缶)」「くわし(菓子)」のように今の人にはかえって読めなくなることがあるからです。どうも煮え切りませんが、これも戦後のおかしな国語改革がもたらしたものです。

最初に新仮名か旧仮名かは各人の選択に任されているといいましたが、それは俳句の表現法について①?④の4つの選択肢があるということです。責任と見識をもって選びなさいというこです。旧仮名で貫くというのも新仮名にするというのも選択のひとつです。

付記:パソコンでも旧仮名(ゐ、ゑ)は書けます。