庭前の柏樹 「古志」2019年7月号から
六月一日から四日間、北鎌倉の円覚寺で夏期講座が開かれた。今年は八十四回。私は初日二時間目に「俳句的死に方」という題で話をしたが、この話は岩波書店の「図書」九月号から連載するので、そちらを読んでいただきたい。ここで書いておきたいのは別の話。
夏期講座の一時間目は毎日、円覚寺の横田南嶺老師が話をされる。中国南宋の禅の考案集「無門関」全四十八則から一つずつ選んで話をされていて、この日は「庭前の柏樹」(第三十七則)をめぐる話だった。
南嶺老師の言葉は心の底まで届く。思索が深い。何より人格が高潔なので、早朝というのに毎日、五百人近い聴衆が大方丈を埋める。この朝の南嶺老師の話を正確に伝えるのは無理なので、「庭前の柏樹」についての私の考えを記しておきたい。
唐末、趙州従●(言に念)という禅の高僧に修行の僧が質問した。「なぜ達磨はインドから中国へ来たのですか」。趙州和尚はこう答えた。「庭前の柏樹子」、ほら、そこに生えている柏の木(白槙)、というのである。
問いと答えがチグハグ。両者の間に深い断裂「間」がある。ではなぜチグハグなのか。趙州和尚は修行僧に対して、達磨が中国に来たのはこれこれのためである、と言葉で答えることができた。そうすれば修行僧は納得しただろう。
しかし言葉では世界の真の姿はとらえられない。言葉を超える実体を、言葉を使わずとらえることが肝要であることを示した。「庭前の柏樹子」というじつに簡潔な言葉で。
俳句もこれに似ている。言葉ですべて説明できてしまうような俳句は俳句とはいえない。俳句は言葉でできていて言葉を超える。
では六月の鎌倉句会から。
青々と平家の霊や立版古 麒麟
睡蓮の一花静かや軒の下 邦紀
殺したき人はわれにも立版古 秀子
クロールの飛沫追ひかけ夏の恋 光枝
青梅のすこし傾ぐや皿の上 光枝
観音は梅雨の眠りにあるらしく 英樹
湯河原の湯を舐めにくる蛍かな 英樹
百姓のわれよろこばす梅雨入かな 靖彦
起し絵のやうや松原越しに浪 道子
バスタブに夏潮の揺れ船の旅 孝予
サーカスの馬の飼はれて梅雨の星 皓大
湧き出づるもののしづけさ夏の空 一郎
歌人の名前は知らず花柚かな 宣行
(「古志」2019年7月号の「俳句自在」を転載)