他人の頭 古志2019年2月号から
今年の厳島句会が一月十九、二十日にあった。三座あった句会に次の句が出ていた。
うらがへる波のひかりや春来たる 斉藤真知子
ここ数年、進境著しい人だが、この句は「春来たる」がダメなのである。この「春来たる」は上五中七の「うらがへる波のひかりや」を説明したにすぎない。「波のひかりや」と切りながら、理屈でつながっている。
句会にこういう句を出すのは似た者同士(A+A)を並べるのが俳句と思っているからであり、この句にかぎらず、こんな理屈の句に互選の点が入るのは、くどい分だけわかりやすいからである。
この場合、「うらがへる波のひかりや」ができたら一気に転じて、(A+B)の取り合わせの句にしなくてはならない。その場で作者に推敲を求めたが、なかなかいい案がでない。そのとき、別の人が「雛あられはどうですか」といって、あっけなく「雛あられ」に決まった。
うらがへる波のひかりや雛あられ 斉藤真知子
はじめからこう作るべきだった。別人が思いつくのは、別人であるから理屈を離れられるからである。ちなみに上五は「うらがへる」より「ひるがへる」のほうがいい。
こんな句もあった。
神の島にまた一年をはじめけり 矢野京子
厳島神社に初詣をしてというだけの句。理屈のただごとである。しかも中七下五が「また一年をはじめけり」という常套。よほど上五が斬新でないかぎり、句にはならない。作者に推敲を求めると、ややあってスニーカーに決まった。これも自分の中の他人の力による。
スニーカーまた一年をはじめけり 矢野京子
では一月の鎌倉句会からいくつか。
しはぶきを一つ残して時代去る 英樹
雪折やこころ失ふ妻残し 宣行
春を呼ぶ笛をつくらん冬ごもり 幸三
兼高かおる追悼
あこがれのパンナムでゆく初景色 遊歩
(「古志」2019年2月号「俳句自在」を転載)