俳句の落とし穴 「古志」2018年12月号から
句会の講評は、ふつう特選句や入選句のどこがいいのか、話しをすることになっている。しかしそれはその句を読んだだけでわかる。立ちどころに美点のわかる句しか選ばないからである。
没の句については、その句がなぜ選ばれなかったか、参加者自身が考えなくてはならない。それをいちいち選者が指摘するのは親切丁寧なようでいて逆。選者に寄りかかった自立できない人を大量に作り出してしまうことになるだろう。飴山實はこちらが尋ねても、笑って答えなかった。
ただ長年、選句を重ねてきて、選ばれない句には三つの部類があることがわかってきた。これを知っておくと、少しは勉強の役に立つかもしれない。
その一つは、わからない句(A)。一物仕立ての場合は意味不明ということになるが、取り合せの場合は直観でもわからぬという句である。
二つ目は、ただごと(B)。わかりきったこと、歳時記の解説に書いてあるようなことを五七五にしただけの句。いわゆる説明や報告もBの部類に入る。
三つ目は発想の問題(C)。この部類の句については、なぜそれを句にするのか、なぜそんなとらえ方をするのか、作者は大いに考えなければならない。この場合、俳句自体に対する無自覚な誤解が潜んでいる。どこで教えられたか、俳句はこんなことを詠む、こう詠めば俳句になると高をくくっていることが多い。
これが身につくと互選の点は集まるが、新鮮な句が詠めなくなる。イヤな句を量産するイヤな人になるので気をつけられたし。川崎展宏が嫌ったのがそれだった。
鎌倉句会(二〇一八年十一月)の特選句から。
われ老人母大老人大根干す 宣行
海恋うて山眠りけり展宏忌 美津子
この寺の綿虫はみな飛天かな 英樹
大根の鈍感力を身につけよ 凜柚
一つまた一つ知恵湧く木の実かな 秀子
いつの間に月の光の水たまり のぶ子
正月にとつておきたや今朝の富士 侑子
悔い多き酒は熱燗展宏忌 ひろし
はるかより冬の口笛展宏忌 一郎
へちまは谷中海綿はギリシア 遊歩
綿虫の重力断つて浮く術よ じろ
心には熾火絶やすな展宏忌 梅子
雀らの来ては鳴きをり一茶の忌 東子
紅葉のなか軽々と滝かかる 伸子
(「古志」2018年12月号「俳句自在」)